長野小布施と善光寺

2002年10月20日より      

  最近までエクシブ軽井沢の宿泊レポートがなかったので 書こうと思って半年ぐらい前にエクシブ蓼科と軽井沢を予約してありました。主人はやはり仕事が忙しいというので誰と行こうかと 考えましたがちょうど敬老の日でもあったので、実家の父と行くことにしました。父はスポーツカーは怖いからいやだよと 前に言っていたし、サスペンションが硬くて乗り心地が良いわけではないので今回はワゴン車で行くことにしました。 このワゴン車の乗り心地は大変グッドです。

エクシブ蓼科へ行く前にどこに寄りたいか聞きましたら白馬へ行きたいと 言っていました。白馬の近くへ泊まるならそれでも良いですが白馬へ行ってまた蓼科へ戻るのにはちょっと遠すぎると思いました。 それで以前から一度行ってみたいと思っていた小布施へ行くことにしました。

朝5時ごろ父を迎えに行って高速料金より時間を優先して、東名の川崎インターから 東京へ向かいました。環八を走って関越自動車道で長野の先の小布施を目指しました。私は東名と中央高速以外はほとんど走らない ので関越を走ってみて結構早くて軽井沢も近いので驚きました。でも軽井沢よりずっと先です。軽井沢の先はトンネルが多いですね。 早く出たので渋滞もなく9時には小布施の駅前に到着しました。まずは葛飾北斎の鳳凰の天井画で有名な岩松院です。 カーナビにセットしてすぐに探し出すことができました。信州の観光ガイドブックにはたいてい出ているし、テレビの旅行番組でも よく取り上げられています。観光に来ているのは年配の人が多いです。若い人はいませんね。(^^;;

この辺りは果樹園になっていて、りんごや巨房、プルーンが生っています。プルーンが生っているところを初めて見ました。

 



手前の電線には電気が通っているようです。
風車で発電しています。

岩松院の仁王門です。

あんまり怖そうではないですね。

門の天井

たくさん人が来るらしく、自動販売機があり、入場券を買って本堂に入ります。説明のテープが流れていました。北斎が何日も小布施に滞在して天井の鳳凰の絵を描いたそうです。撮影禁止なので写真は取れませんでした。鳳凰ですからカラフルできれいです。床に寝てみるとどこから見ても鳳凰が自分の方を見ているように描かれているそうです。でも「座ってご覧ください。」とちくりと書いてあります。テレビの旅行番組ではリポーターが寝て見ていましたね。

お寺の庭には池があってそこで蛙の雄どうしの戦いをみて小林一茶が「やせ蛙まけるな一茶ここにあり」と詠んだそうです。碑が立っています。それは病弱な息子千太郎への声援の句でもあったそうですが残念なことに千太郎は生後1ヶ月で亡くなったそうです。

 

葉っぱでよく見えませんがこれが池

もみじの枝のところに句碑が建っています。

  その後は北斎館(美術館)で映画や作品を見ました。有名な東海道五十三次の版画の絵だけではなく肉筆の絵も大変すばらしいです。年代によりいろいろな作風を研究していたのですね。祭りの山車も飾られていて、山車にはやはり鳳凰が描かれています。

美術館の近くに北斎を小布施に呼んだ地元の名士、高山鴻山の屋敷が記念館として保存されています。高山鴻山は京都や江戸への遊学で各界の第一人者から学問や芸術を学び幅広い人脈を持っていました。幕末の思想家や文人たちとも交流がありました。展示してある絵や書も素晴らしいです。

 

高山鴻山の屋敷の2階へ上がる階段
すごく急です。もちろん上ってみる。

 

押入れの床下には抜け穴があります
幕末の藩士たちと親交があったので敵が来たらここから逃げる

 

かご、ほんと手を触れたら崩れてしまいます。

ご本人です

これも庭にある秘密の抜け穴です

 

以前甲賀の忍者屋敷も見ましたが、私はこういうの好きなんです。

小学校の低学年のとき祖母の家が大きかったので戸袋とかなんでこういう風になっているのだろうなんて考えていましたよ。
忍者屋敷じゃないのだからなにもなっていないのですが・・・
父もそうだなぁなんて付き合って返事をしてくれていましたね。 (^_^;;

 

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