御柱祭 上社

茅野駅前へやってきました。

蒸気機関車 C1267 駅前広場に置いてあります

茅野市 市民館図書室

 

茅野市役所で御柱祭のイベントが行われていました。

皆さんが着ている緑色の法被(はっぴ)はこの日の2回目の木落しの桟敷席のもの。1回目の人は朱色。
この回の桟敷席の所有を証明するものでもあります。コートの上から着たのでぶくぶくになりました。

このおじ様いつまでもこの場所でポーズを取っていて
どいてくれなかった。

どれでも一杯100円です。

  会場から大分離れたところにバスの駐車場があって、そこから歩きました。交通規制があって、木落しの会場近くは車は入れません。1回目の木落しが終わって、見物の人たちが退場して準備が出来るまで並んで待ちました。

 

入場もブロックごとの順番です。

 

やっと席へ。

 

木落しの坂まで実際はこんなに遠いので何をやっているのか分かりません。
始まったら立ち上がってはいけません。三脚も禁止。

 

 

黄緑色、赤、黄色大勢の人たちが曳きます。木落しの坂の上まで御柱が曳かれて来ました。

お祭りというと笛や太鼓を想像しますが、なぜか御柱祭はラッパに太鼓。軍隊調です。

御柱の前後に取り付けられたV字型のものは『めどでこ』といいます。

上社の御柱には付いていますが、下社の御柱にはありません。

 

 

カメラの液晶は小さいのでPCに取り込んで初めてまだ準備中なんだって分かりました。

 

下で曳く人も準備中

 


いつ始まるかとずっと期待して待っていて30分以上経ちました。

 

だいぶ前の部分が突き出ています。落ちる寸前です。

11時に白旗が振られて落とされました。

あ!あっという間に下へ落ちました。

 

 

前の席のおじ様の頭がちょっとお邪魔なのですけどぜひご覧ください。
引っ張っている人が御柱の横を転げ落ちて行きます。
読み込みにちょっと時間が掛かります。

 

 

すべり落ちて下に着いても、ずっとラッパ隊が演奏し続け、めどでこに乗った若い衆たちは
ラッパに合わせて黄色い御幣(おんべ)をずっと振っていました。

(おんべは檜などを紙のように薄く削り、束ねて棒の先につけたものです。)

 

後ろの足場を組んだやぐらの方が良く見えそうです。あっちがいい!!

終わって退場も端の桟敷から順番です。添乗員さんに付いてバスまで戻りました。

良い天気でずっと川べりにいたので日焼けしてしまいました。

木落しのあとには宮川の川越しがあるのですが、ツアーなのでそれは見られません。

 

バスの中でお弁当。オプションです。峠の釜飯のおぎのやの御柱祭記念弁当でした。

バスの中で注文を取ったのですが、おぎのやで釜飯をいただくか、このお弁当(注文の時点ではどこのお弁当か分かりませんでした)をいただくか悩みました。お弁当が配られておぎのや製の豪華なお弁当だったので、これで良かったと安心しました。

 

その後おぎのや、野沢菜会館で休憩。いろいろ試食。(笑)

 

タケヤ味噌工場見学の予定が、工場がお休みのため諏訪湖で休憩。

タケヤ味噌の売店は開いていたので一応お店は見ましたが、休憩は15分なので時間がなくなり、

売っていた豚汁を大急ぎでいただいて、走ってバスに乗りました。

1杯100円、具だくさんで美味しかった。
 

工場見学のはずだったからお土産に名人のお味噌が後で配られました。
これ小さいけど500円ぐらいだったような。

お味噌買わなくて良かった。

 

 

諏訪大社上社へ参拝

 

  風と水をつかさどる竜神としてあがめられ、風と水に関係ある農業の守護神とも、また水をつかさどる神様として、
各地の港に祭られています。また戦の神様、武家の守護神ともいわれてきました。現代は戦いの神様と言っても勝負事の神様として、力士や将士が勝負の前に参拝しています。国技館に飾られていた引退した力士の 絵画(貴乃花ともう一人忘れ)もお社の奥の方に飾られていました。

 

明神湯

 

何年生まれの人は厄年なんて書いてあります。

 

← 御柱です。

裏側を見ると引っ張ってきたので削られています。 →

道路がでこぼこだと御柱を曳くのが大変なので、御柱祭の前に道路を舗装するそうです。

伝説の名力士 雷電為右衛門

諏訪大社は武士の神様なのですが、今は勝負の神様となっています。

御柱も書かれています。

神楽殿 江戸時代の太鼓が保存されています。

正式の土俵です。

本宮 二之御柱

この門をくぐり木の廊下を歩きました。

十間廊 ちょっと土足で歩くのは気が引けたけど反対側まで歩きました。

左側に御柱の記念品が飾られていたり、何年かごとに交代で立て替えられるお宮が並んでいました。いろいろお金が掛かりますね。諏訪近隣の方々が御柱祭のために貯金をすると言われていますが、諏訪大社が地元に密着して生活の一部に溶け込んでいるのでしょうね。初詣とお葬式ぐらいしかお寺と神社に縁の無い私とは違います。

日露戦争に勝利して、奉納された砲弾形の石碑とガイドさんは言われていましたが、検索して調べるといろいろな説があって分からなくなりました。石で出来ていて、鉄だったら錆びてしまって今頃ぼろぼろのはずとガイドさんが説明されていましたが、叩いたら金属の音がしたとブログに書いている人もいました。私は触ってみませんでしたのでどうなんでしょうか?

小さな石ころを拾ってこの上に載せる。

載った人は運がいいって。私の石ははぴょんと跳ねて飛んで行ってしまいました。

先の門のところまで行って参拝。

祈祷を受ける人はここから入れます。

上社 本宮

竜神の口から水が出てきていました。

お守りいろいろ

今年は御柱祭のため特別なお守りがあります。

諏訪の町が見下ろせます

門を外から見ると

  中央高速は途中渋滞もありましたが、ガイドさんが早め早めに時間を設定してくださって、無事に新宿に戻って来ました。前回はデパートのレストラン街で夕食をいただきましたが、混んでいて、高い、狭いであまり良くなかったので駅の地下街で天丼をいただいて帰りました。安い、早い、どっさり載っていました。でもいっぱいありすぎて ちょっともたれました。

 

 

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